アートのコツライブラリー

2009年12月15日火曜日

アートで癒すコツ


「アートのコツ」は、アートホリックな方々にアートを楽しむコツを教えていただくコーナーです。今回は、パステルシャインアートセラピーインストラクターの土田晶子さんに「アートで癒すコツ」を教えていただきました。



「パステルシャインアートセラピー」は予防医学の一環として「ヒーリング」を目的に私が行っています補完(代替)療法の一つです。補完(代替)療法と関わるようになりましたきっかけは30代の始めに体調を崩した事です。今でいう「うつ症状」だったのかもしれません。最終的に心療内科にも行きましたが診断が出ず、本などで「自律神経失調症」と自己診断していました。ありとあらゆる健康法を行ない「自力整体」で立ち直ることが出来ました。そして「自力整体 予防医学指導士」の資格を取得、現在カルチャーセンターや教室で開講しています。その後、皆さんとの関わりから体のケアだけでは片手落ち「心と体の全体」を診る必要があるのではないかと思い始めました。いろいろと調べてみますと随分古くからその考えを提唱していらっしゃる医師の方々がいらっしゃいまして「ホリスティック医学」と言います。その後、名古屋市美術館でギャラリートークのボランティアをさせていただくようになり、それまでは「ただ観るのが好き」だったのが、「色で癒される」ことに気づきました。実際「アートセラピー」の中に「カラーセラピー」という補完(代替)療法があります。そして自分で行える「アートセラピー」はないかと探していました時に「パステルシャインアートセラピー」に出会いました。「パステルアート」はたくさんありますが、ほとんどは絵画的要素が強いです。私の目的は「ヒーリング」です。養成講座が始まるのを待ち続け、1期生として東京で直接指導を受け資格を取得、現在に至ります。どなたにも受講していただけますように地下鉄沿線の落ち着いた和室を借りています。材料はすべて私が用意しますから1回でも定期的でも気軽にご参加いただけます。寛いでいただけるように最多でも1回4名の方まで、日程もご希望をうかがってから会場を決めます。


私の補完(代替)療法はすべて「自分のヒーラーは自分・自分を癒すのは自分」という考えです。自分のエネルギーが下がりますと自然治癒力が下がります。「エネルギーなんて見たことない!」と思われるかもしれませんが、実は皆さん活用しています。野菜や肉の鮮度、或いは花の活き活きした美しさ、それがエネルギーです。購入する時に自然と目安にされると思います。畑の野菜、草原を駆ける動物、風にそよぐ草花を目にした時に体の奥から湧き上がる感動を覚えます。それが高いエネルギーに共鳴している状態です。自然界の生物は仲間のヒーラーに癒してもらうでしょうか?周りの環境に積極的に関わっているだけですね。この積極的な関わりが大切で、それがあれば自らがヒーラーになれます。より良いセラピストを目指して大学で心理学を学んでいますが、その授業で臨床心理士の方々がおっしゃいます。「思考力が出てこれば自分で対処できる」「自分の中に『キラッ』と光る可能性を見つける」私たちはそこに寄り添っていくだけです。



土田晶子

パステルシャインアートセラピーインストラクター(インストラクターの養成、うつ症状軽減のボランティア)
「ホリスティックカラーヒーリング パステルシャインアートセラピー」
「笑壷ソサエティ」

2009年9月15日火曜日

日常にアートを見つけるコツ


「アートのコツ」は、アートホリックな方々にアートを楽しむコツを教えていただくコーナーです。今回は、フリーペーパー『アートラペル』発行人の原田京子さんに「日常にアートを見つけるコツ」を教えていただきました。

私にとってアートに触れているひとときは現存の世界から離れ非現実的な世界を楽しむ休息の時間であり、自分自身をみつめる機会を与えてくれるものです。ただ美術館やギャラリー、アートにまつわるイベント、パブリックアートのある場所へ出向かないとアートと出会う機会はほとんどありません。また心に余裕がないとアートというものを楽しむことはなかなかできないのではないでしょうか。

育児をしながら仕事をしているとどうしても毎日の生活に追われ、ゆっくりとアートと向き合う時間が少なくなります。そんな私がアートに触れているときと同じような感覚に陥る瞬間がときどきあります。それは日常に潜んでいる非現実的なものを発見してハッとさせられる瞬間、ワクワクして笑顔になる瞬間…。刻々と過ぎていく時間の中でふと立ち止まり、別の世界へと思考が切り替わるひとときです。例えば道端に落ちている靴を発見したとき。それはとても物悲しく見え、その背景にある物語を想像せざるを得なくなります。また近所のおじさんが自分で塗装した壁の色ムラに美しさを感じたり、何本も並んで建てられた電柱を見て「もしかして一本はFRPで作られた偽物だったりして」と思ったり。アートとは言えないものですが、そんなものを発見して自分なりの視点から観察することが心のちょっとした休息になります。

アートのある場所へ出向くことが難しいときには、自分の身近にある小さな発見を楽しむことを試みてください。そして時間がとれるときにはギャラリーや美術館へ行って、ジワーっと心満たされるゆっくりとした時間を過ごすことができれば、きっとそれは最高の休息になることと思います。


原田京子
フリーペーパー『アートラベル』発行人

2009年6月15日月曜日

アートを感じるコツ

今回の「アートのコツ」は、アートホリック編集人・田中由紀子が「アートを感じるコツ」について書かせていただきました。


美術に関する文章を書いたり、展覧会の企画に関わったりしている私にとって「アートとは何なのか」「アートはどこにあるのか」ということは永遠の命題です。とくに執筆に関わる場合は、まずは鑑賞者として作品と向き合うことを余儀なくされるわけですが、作品が造形的、技術的にいくら優れていても、作品から作家の高い問題意識がどれほど感じられても、かならずしも「いい作品だった」「面白い展覧会だった」と感じるわけではありません。

では、どんな場合に食指が動くかというと、その作品や展覧会により既成概念が覆されたり、新たな発見や気づきが促された時。そして、これまでの自分のものの見方を問い返し、自分を取り巻く世界の捉え方を変えることができた時です。そんな体験をさせてくれる作品や展覧会と出会った時、私は自分の内面にアートが立ち上がるのを感じます。そのためには、作品の造形的な魅力やそれを支える作家の問題意識や技術はもちろん不可欠ですが、アートとは作品そのものではなく、それを見る私たちの側にあるのではないかと思います。つまり作品は、見る側にアートを立ち上げるためのスイッチのようなものだといえるのではないでしょうか。

しかし、自分のものの見方を問い返し、世界の捉え方を変えることができるといった体験は、作品を見た時だけに限ったことではありません。本や新聞を読んだり、他者とのコミュニケーションなど、さまざまなことによって体験できることです。そう考えると、そのスイッチはなにも作品でなくてもいいのかもしれません。

そんなことを日々考えながら、私は企画者のはしくれとして「アートでなければできないこと」は何なのかを考えながら、展覧会をつくっていかなければならないと感じています。

2009年3月15日日曜日

アートがわかるコツ

今回の「アートのコツ」は、アートホリック編集人・田中由紀子が「アートがわかるコツ」について書かせていただきました。

最近まで関わっていた展覧会で協力いただいた方々から、「私たちには抽象的な作品や前衛的なアートはよくわからないので、注釈をつけて」という声を聞くことがありました。では、どんな作品なら「わかる」のでしょうか? そもそも、アートが「わかる」とはどういうことなのでしょうか?

そういえば、指揮者の新田ユリさんが新聞のコラムに、演奏会後のアンケートには「知っている曲だったので良かった」「知っている曲がなくて残念だった」というものが少なくなく、聞いたことがあるメロディだと「わかる」という状態になり楽しくなるが、知らない曲に対してはつまらないという感情を持つようだ、と書いていました。アートについても同じことが言えるのではないでしょうか。

たとえば、ゴッホの《ひまわり》。この作品を「わかる」というのは、「(本物かどうかは別にして)見たことがあり知っている」もしくは「描かれているのがひまわりだとわかる」を意味する場合が多いでしょう。しかし、それでわかったことになるのでしょうか?

「アートは感性で楽しむもの」と言われることがありますが、アートは感じるものではなく学習するものです。ここでいう学習とは美術史を学ぶことではなく、さまざまな作品を見るという視覚体験を積み重ねることです。たしかに、私たちは見たことがないものに対してどう認識すべきか戸惑うと楽しく感じられない状態になりがちです。しかし、これまでの視覚体験で得られた情報から類推し、さまざまな想像を巡らせるうちに「わからない」ことにワクワクし、「わからない」状態を楽しめるようになるのではないでしょうか。

「わかる」という状態は安心できますが、わかってしまったら面白くないことも世界にはたくさんあります。わからないから楽しい、わからないから考える、そこからさまざまな発見をして世界を広げてくれるのが、アートの魅力なのではないでしょうか。

写真:川見俊《untitled(tenryu river)》写真、2008年