アートのコツライブラリー

2009年6月15日月曜日

アートを感じるコツ

今回の「アートのコツ」は、アートホリック編集人・田中由紀子が「アートを感じるコツ」について書かせていただきました。


美術に関する文章を書いたり、展覧会の企画に関わったりしている私にとって「アートとは何なのか」「アートはどこにあるのか」ということは永遠の命題です。とくに執筆に関わる場合は、まずは鑑賞者として作品と向き合うことを余儀なくされるわけですが、作品が造形的、技術的にいくら優れていても、作品から作家の高い問題意識がどれほど感じられても、かならずしも「いい作品だった」「面白い展覧会だった」と感じるわけではありません。

では、どんな場合に食指が動くかというと、その作品や展覧会により既成概念が覆されたり、新たな発見や気づきが促された時。そして、これまでの自分のものの見方を問い返し、自分を取り巻く世界の捉え方を変えることができた時です。そんな体験をさせてくれる作品や展覧会と出会った時、私は自分の内面にアートが立ち上がるのを感じます。そのためには、作品の造形的な魅力やそれを支える作家の問題意識や技術はもちろん不可欠ですが、アートとは作品そのものではなく、それを見る私たちの側にあるのではないかと思います。つまり作品は、見る側にアートを立ち上げるためのスイッチのようなものだといえるのではないでしょうか。

しかし、自分のものの見方を問い返し、世界の捉え方を変えることができるといった体験は、作品を見た時だけに限ったことではありません。本や新聞を読んだり、他者とのコミュニケーションなど、さまざまなことによって体験できることです。そう考えると、そのスイッチはなにも作品でなくてもいいのかもしれません。

そんなことを日々考えながら、私は企画者のはしくれとして「アートでなければできないこと」は何なのかを考えながら、展覧会をつくっていかなければならないと感じています。

2009年3月15日日曜日

アートがわかるコツ

今回の「アートのコツ」は、アートホリック編集人・田中由紀子が「アートがわかるコツ」について書かせていただきました。

最近まで関わっていた展覧会で協力いただいた方々から、「私たちには抽象的な作品や前衛的なアートはよくわからないので、注釈をつけて」という声を聞くことがありました。では、どんな作品なら「わかる」のでしょうか? そもそも、アートが「わかる」とはどういうことなのでしょうか?

そういえば、指揮者の新田ユリさんが新聞のコラムに、演奏会後のアンケートには「知っている曲だったので良かった」「知っている曲がなくて残念だった」というものが少なくなく、聞いたことがあるメロディだと「わかる」という状態になり楽しくなるが、知らない曲に対してはつまらないという感情を持つようだ、と書いていました。アートについても同じことが言えるのではないでしょうか。

たとえば、ゴッホの《ひまわり》。この作品を「わかる」というのは、「(本物かどうかは別にして)見たことがあり知っている」もしくは「描かれているのがひまわりだとわかる」を意味する場合が多いでしょう。しかし、それでわかったことになるのでしょうか?

「アートは感性で楽しむもの」と言われることがありますが、アートは感じるものではなく学習するものです。ここでいう学習とは美術史を学ぶことではなく、さまざまな作品を見るという視覚体験を積み重ねることです。たしかに、私たちは見たことがないものに対してどう認識すべきか戸惑うと楽しく感じられない状態になりがちです。しかし、これまでの視覚体験で得られた情報から類推し、さまざまな想像を巡らせるうちに「わからない」ことにワクワクし、「わからない」状態を楽しめるようになるのではないでしょうか。

「わかる」という状態は安心できますが、わかってしまったら面白くないことも世界にはたくさんあります。わからないから楽しい、わからないから考える、そこからさまざまな発見をして世界を広げてくれるのが、アートの魅力なのではないでしょうか。

写真:川見俊《untitled(tenryu river)》写真、2008年

2008年12月15日月曜日

アートと社会をつなぐコツ

「アートのコツ」は、アートホリックな方々にアートを楽しむコツを教えていただくコーナーです。今回は、よろずアートセンターはちの新見永治さんに「アートと社会をつなぐコツ」を教えていただきました。

よろずアートセンターはちの新見です。よろずアートセンターはちと言ってもまだ馴染みがないかと思いますが、カフェ・パルルの隣や2階にスペースを持ってい ます。社会という複雑に絡み合い制約も多い環境の中でいかに人が自由を獲得するかということに僕は興味があります。自由というものを考えたりそれを手に入 れるための道具としてアートはとても優れていると考えます。

はちではアート自体もより幅広くとらえようとの姿勢で、展覧会だけでなくアートに隣り合っていると思えるような事柄も積極的に紹介しています。

例 えば今年の9月には「場と対話するアート」というシンポジウムを行ないました。現代美術製作所の曽我高明さん、アーティスト三田村光土里さんの生活空間の 中でANEWAL Galleryの飯高克昌さんをゲストに迎え、東京や京都での活動を紹介してもらい生活空間の中でアート作品がどんな働きができるのか、その可能性につい て語り合いました。地元からは正色隊による名古屋の古い町並みの残る地域のお話やベッキヰの歓迎パフォーマンスを披露しました。
http://www.parlwr.net/2008/08/post_3a7b.html

なごや自由学校との協力でこれまで何度か行なった伊田広行さんの講座は、いつも刺激的です。家族とは結婚とは何なのか。ゲイカップルの遺産相続はどうするのか。恋愛関係は1対1がベストなのか。などなどお話を聞くだけではなく参加者も自分の問題を話し合ったりもしました。
http://www.parlwr.net/2007/11/10_d11a.html
http://www.parlwr.net/2007/07/post_1a74.html

ジャ ズの熱心な聞き手であった自分が、ある時ピーッという単調な電子ノイズが音楽として聞こえるようになった瞬間を語ってくれたのは、ミュージシャンで批評家 でもある大谷能生さんです。録音技術の発明とポピュラー音楽の隆盛が両輪のように絡み合っていたこと、またその傍らには黒人の音楽であるジャズが蠢いてい たことをまるで現場にいるかのような臨場感で話して聞かせてくれました。
http://www.parlwr.net/2007/12/post_fc3c.html

素 人の乱の松本哉さんたちによる映画の上映会とトークイヴェントは、今年8月に行なわれました。今や突然クローズアップされている貧困や非正規雇用の問題を あっと驚くしかもおバカな手法で世に問いかけ続けています。「革命後の世界を先につくる!」という彼らの言葉には圧倒されます。
http://www.parlwr.net/2008/08/post_7fe5.html

こ んなふうに紹介してきたいろいろな動きはいずれも社会の一番敏感な部分に接しています。いずれもアートと切り離せない問題を含んでいると思うし、その火花 飛び散るようなエネルギー溢れる活動の現場自体がとてもアーティスティックです。僕にとっては、そこはまさに新たなアートが生まれるホットスポットなので す。


新見永治
よろずアートセンターはち運営

写真:期間限定のみのいち『サトーココノカドー』の様子